Tuesday 17 November 2009

in a foreign country

先週から私の働く病棟に、若い日本人女性が入院しています。学生さんだそうです。
まだじっくりとお話を伺う機会がないですが、骨盤近辺と片腕の複数個所を骨折してしまったようです。入院してからずっと寝たきりです。
初めてお会いしたときにはもう既にご両親がいらっしゃいました。皆さん心細いんだろうな、と自分に置き換えて考えてみたりしてました。

そんな昨日は、私がある医師と違う患者さんの退院プランについて話していると、同じチームの医師と思われるもう1人の医師が私のIDカードを見て、その後「君、日本人?」と聞いてきました。そうであることを伝えると、「手術の説明をしたいと思っていて、一応電話通訳は頼んであるんだけど、君にも参加してもらってもいいかな?」ということだったので、快諾させていただきました。

私はプロの通訳者ではないので、最終的にはプロの通訳を介して患者の承諾を取るのが病院のポリシーです。そしてこの通訳サービスはこちらでは多国籍な国ということもあり、無料で行われています。

「家族が病気になったとき、母国語で話せたらどんなにいいか、と思ったよ。」
父の転勤で幼少の私と姉を連れて、当時は日本人もまだまだ少ないアメリカへ駐在した母の言葉です。日常会話は問題なくこなす母ですが、病気のときはやっぱり日本語で話したい、というのは理解できます。細かいことまで伝わる気がしますよね。

この言葉は日本で薬剤師をしていたときの私への励みともなりました。その頃は留学したいと思ってはいても仕事に追われる毎日。たまにやってくる外国人の患者さんに、共通語である英語で頑張って服薬指導したのは今でも良い思い出です。ありがとう、助かったよと笑顔で言ってくれるのが嬉しくて英語の服薬指導ができるように本を買ってみたりもしました。

今回はその逆とも言える状態でしたが、少しでも不安が解消されるように時間をかけてお話をしました。特に患者さんのお母様はほとんど英語ができないようだったので、ますます不安だろうな、と思わずにはいられませんでした。女の子はゆっくりとできる範囲で英語で対応していて、たまに医療用語を英語から日本語へと説明させてもらいました。

骨盤の部分の骨折でその片方の足が骨盤に入り込むような感じになっており、現在足の長さが若干違うこと、それを直すためにプレートを入れること、そのプレートを入れるためにある神経を切らないといけないこと、そうすると永久的にある部分の皮膚表面の触覚がなくなること。腕も同じようにプレートを入れてスクリューで止めること。いずれも問題がなければ永久的に身体の中で、取り出すことはないということ。

女の子のショックな顔、でもそれを隠そうとする顔、それを私が日本語で説明してまたショックを受けるお母さん。

お母さんが心配したのはまた足が元のように障害なく動くようになるのか、ということ。まだまだ若い女の子。私はある言葉も加えて、医師にその事も伝えてみました。その回答は全く問題がないはず、とのこと、そして出産も問題なくできるだろう、ということ。お母さんがホッとしてくれたので、私もホッとせずにはいられませんでした。

そんなお母さん、日本では看護師さんだそうです。道理で落ち着いていらっしゃる。
昨日の午後は手術だったはずなので、明日また様子を見に行こうと思います。
(今日は風邪もあまり良くならないので、自宅療養中です~。)

ご家族にも、医療チームにも、ありがとう、助かった。と言ってもらえ、自分にとっても有意義でした。

実は一時期自分の経験を生かして医療通訳になりたい、と思った時期もありました。
ちょっと落ち着いたらまた勉強してみようかな。


この写真は、オーストラリア永住権取得のため、NZのオークランドへ2009年9月に数日間だけ
Hubbieと出かけたときの写真。宿泊場所から見た夕焼け雲です。
この後、オーストラリアへ再入国、無事に永住権を取得しました。
ミニハネムーン、長くかかった独立永住ビザの取得、色々な意味で思い出深い旅行となりました。


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