Tuesday 22 March 2011

癒やされて。

シドニーに戻って数日が経った今日は、突然思い立ってPort Stephensまでやって来ました。
思えば初めての三人だけの家族旅行です。
Hubbieと付き合ってた頃に一度宿泊した場所がたまたま空いていたので、懐かしさもあってまた来てみました。私たちはホテルよりもいつも大体、キッチンなどが付いた所を予約してのんびりするのが好きです。だからと言って自炊しまくる訳でもなく、好き勝手にできるというのがきっと好きなんですかね。ベランダから見える海をボーッと見てるだけでも気分が静まるようです。

実は日本で地震のあった金曜日は、Hubbieは仕事最終日だったと書きましたが、文字通りの最終日だった訳でして、その日と前日の木曜日は2日間続けて違う会社での面接などもあって、Hubbieはしばらくの間きちんとしたホリデーは取っていなかったので、今回の日本行きはホント~に楽しみにしていました。

そんな中地震が起きて、日本には私とBubを迎えに来たかのようになってしまい、とにかく毎日大忙しの日々が続いてしまい、全くホリデーではなかったので、次の仕事に気持ちを入れ替えて行けるように、そして今までお疲れ様、これからも頑張ろう、を兼ねて出かけることにしました。2人とも精神的にも少し疲れてたかな、と思います。もちろん被災者の苦労とは比べることもできませんが。。。

私たちの気分が少し落ち着きを取り戻したのがやっぱりBubにも伝わるのか、Bubも幾分のんびりしているようで、とにかく良く寝てます。今日は夕方に到着したのでお買い物に出ただけですが、明日は海辺をゆっくり散歩してみようかな、と思います。

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Sunday 20 March 2011

怒涛の1週間。③Tokyo-Sydney

地震から1週間、成田までの道路も、電車もほぼ元通りになっていましたが、前日の成田はテレビの報道ではごった返していたので、夜8時発の便だったものの、11時前にはホテルを出ました。TCATからバスに乗ったのは11時頃、成田空港に到着したのは12時過ぎでした。

金曜日の成田は、前日木曜の成田とは違い、すっかり落ち着きを取り戻し、いつもの空港と変わって見えませんでした。気合を若干入れすぎ、早く着いたので時間がかなり余ってしまいましたが、これも何事もなく済んだため、と思えば良いことです。両親にはチェックインが済んで、出国手続きをするまでの大分長い間を一緒に過ごしてもらい、Bubの面倒を見てくれたりとしてくれたので、だいぶ疲れも溜まっていただろうに、私もあまり本調子ではなかったので、助かりました。改めてありがとう。

東京、シドニー間のカンタス便は普段は直行便なのですが、今回の原発の一件もあり、香港経由に変更になっています(3月18日現在)。東京にクルーを置いておらず、香港でクルーを交代するため、とのことでした。なので、香港まで4時間半、シドニーまでさらに9時間と長旅だったので、考えるだけでもゲッソリしましたが、皆が無事にここまで来れただけでも幸いです。予約の時にバシネットをリクエストし、またチェックインもだいぶ早く並んでしたので(オンラインチェックインはできなかったので、乗客皆が空港でのチェックイン)、バシネット席に座ることができました。これは自分たちに休む時間ができたので助かりました。Bubも数時間は私の腕の中で寝ましたが、それ以外はバシネットで寝てくれました。この便は、びっくりするぐらい赤ちゃん、子供が多かったです。私達同様、オーストラリアに戻って来い、と言われている人たちかな、という感じでした。でも、フライト自体は50席は空席、という落ち着いたものでした。

香港に着いたのは夜中だったのでお店もやっておらず、そしてトランジットも本当に短い時間でしたが、歩き回ったり、ストレッチしたりして過ごしました。その後の飛行も順調で、長い長い旅でしたが、昨日の午後3時半頃に無事に家に着きました。

Bubは変な時間に起こされたり、としたためか、今日は何だか1日中眠いようで、少し遊んで、その後ぐずった後に、良く寝ています。私とHubbieもものすごく疲れているので、Bubもだいぶ疲れていると思います。少しゆっくりしようと思います。

最後になりましたが、私の家族、親戚、友人は幸い皆無事でした。本当に幸せなことです。皆さんの周りは大丈夫でしたでしょうか。災害に巻き込まれた方々を思うと、本当に心が痛みます。励ましの言葉も何も見つかりません。ただそばに寄り添ってあげて、何か力になれることがあれば、なんて思いますが、思い返せば自分のことだけでも精一杯だった無力な自分に現在できることは、東京にいる家族と毎日連絡を取ること、家族に心配をかけないように元気に生活することぐらいかもしれません。当たり前のことが当たり前でなくなったとき、突然平常心が保てなくなりました。でも、そんな時、家族がいてくれて、しっかりしなくては、と思うことができました。私も親なんだからしっかりしなくては。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

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怒涛の1週間。②喜怒哀楽

地震が起きたのは金曜午後、Hubbieが到着したのは土曜日。日曜日は元から親戚が実家に集まる予定になっていました。地震の後、どうしようか、という話になっていたのですが、滅多にあることではないし、これからまたいつ会えるか分からないし、ということで、結局集まることになりました。

集まったのは、叔母夫婦(母の妹)、その子供2人(私の従姉妹ですね)とその家族、私の姉夫婦。こんな風にして集まれるのは、結婚式などの行事の時以外には滅多にないので、一時ながらこういう風にして皆で集まれて、食卓を囲んでワイワイとできたのは幸せなことでした。家が近かったことで、幼い時には良く遊んだ従姉妹も私達ももう皆結婚したんだな~、と。忘れずに皆で記念写真も撮りました。またこんな風に集まれたらいいな~と思った1日でした。

いつもバタバタと強行スケジュールな私ですが、今回も例外ではありませんでした。笑。月曜からは2泊で長崎の予定となっていたのですが、これも私の祖母にBubを見せるという目的があったので、長崎行きの便は問題なく出ていたので、母に車で羽田まで送ってもらい、父とHubbieとBubと私の4人で行ってきました。Bubの曾おばあちゃんにもたくさん抱っこしてもらうことができて、Bubはずっとご機嫌でいてくれたのもとても助かりました。本来は最初の1日は移動だけ、その後2泊2日ののんびり旅行の予定も、気分はそんなに盛り上がるはずもなく、結局はテレビに見入ったり。でもせっかく行ったので、お昼はちゃんぽんを食べ、その足で急ぎ足で大浦天主堂とグラバー邸を見て来ました。その間父がBubをベビーカーに乗せて待っていてくれました。Bubは泣かずにおりこうに待っていてくれ、きれいな赤ちゃんですねと声もかけてもらったらしく、私達としても嬉しい限りです。笑。長崎から東京へ戻る便も、観光するために夕方の便だったのですが、それも停電なども心配だし、何かあっても明るいうちに行動できるようにと、午前の便に切り上げて東京に戻りました。これが水曜日。

木曜日は朝からやっぱりバタバタでした。Hubbie母とは連絡を取り合っているものの、やはり心配で仕方がないようでした。東京はもうほぼ普段どおりの生活を送っていると話しても、残念ながら原発のニュースなどばかりやっているのを想像すると仕方ない反応なのかもしれません。結局はその朝カンタスに連絡して、次の日の便でシドニーに戻ることを決めました。なんとなく覚悟はしていたものの、やっぱり辛かったです。ちょっとだけ泣きました。

シドニーに戻ることが決まったとなれば、もう時間がないので、Hubbieが来たらやりたいと思っていた、五月人形探しに出かけました。ガソリンはあまり使いたくないので、近くの町田市街に出かけました。母は最後だからと私の大好きなお寿司を食べに行こうと言ってくれ、デパートに行ってみましたが、計画停電などもあってどこもお休みでした。小さいお店はちょこちょこやっているものの、混雑していることが多く、Bubを連れて待つのは無理だったので、もう家に帰って食べようかという話になったのですが、運良くテーブルがあいたラーメン屋さんの前を通り、そこでお昼を済ませました。とっても寒い日だったので身体が温まりました。その後、数百メートル離れた五月人形やさんへ。ものすごい種類がありました。最終的にはHubbieに選んでもらい、飛行機用にパッキングしてもらいました。その他にベランダに飾れる大きさの鯉のぼりも。パッキングしてもらっている間は少し離れたサブウェーでコーヒーを飲みながら待ちました。というのも、あと数分で計画停電で電気が消える予定なので、あの道を境に向こう側は電気が消えないはず、というお店の人のアドバイスを聞いてのことでした。皆が協力しあって、生活が通常通りではないものの、通常通りに続けようと努力をするのは、精神的な安定をもたらすだけでなく、地域の安定もつながるんじゃないかな~なんて思ったひとときでした。パニックは人を普段と違う行動に導き、良い結果を生みません。

飾り物は全て、やはり飾りとして使う箱(よろいを腰掛ける箱)、の中に納まるようになっており、その箱の中でも壊れないように包んでくれていたのでチェックイン荷物として預けましたが全く問題無しでした。(ちなみにfragileで預けたのに、シドニーで受け取ったときにはもう札がなくなってました。笑)今はちょっと疲れがピークですが、落ち着いたら飾ってみようと思います。パパママ、どうもありがとう。

次の日にシドニーに戻るに当たって、計画停電や都市大停電などの可能性などが報道され始めていたので、急遽、その夜は水天宮のTCATから次の日成田空港へのリムジンバスに乗れるようにと、TCATに接続したホテルに宿泊しました。急遽シドニーに戻ることが決まったので、もう一度姉に会うことができないと思って意気消沈、その後ホテルに宿泊することが決まったことで、そこから徒歩数分の距離に住む姉に会うことができると分かったものの、大停電になる前に急いで仕事から帰宅しようとしていた父にはこのまま会えないかもとまた意気消沈。結局は用意に時間がかかり、そのうち父から地元の駅に着いたと連絡があったので、父をピックアップしてその足で都心に車で向かいました。都心に向かう道路はいつもより薄暗く、道路もビルも節電していることが見て分かりました。その甲斐あってか大停電も起こりませんでした。その夜は、出来合いのものででしたが、部屋に父母、姉夫婦、私達夫婦とBubで集まり、ご飯を食べることができたので、良かったです。私もこれで気分が若干落ち着きました。

その夜も東京は何度か揺れました。ホテルはギシーギシーと音をたててましたが、怖いという気持ちはありませんでした。でも全く眠れない夜でした。


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怒涛の1週間。①地震

またしてもご無沙汰してしまいました。
皆様お元気にお過ごしでしょうか。

本来は3月末まで東京に滞在する予定でしたが、予定を繰り上げてシドニーに戻ってきました。帰って来いという人々にとっては嬉しいことのようですが、私達家族にとっては、到底そういう気分にもなれず、昨日はHubbie母が空港まで迎えに来てくれましたが、Hubbieも私も、疲れ過ぎていてあまり話もしたくない、というのが正直なところでした。

地震があった金曜日は、父、姉、義兄は職場に、母と私とBubは、週末に親戚が実家に大集合の予定だったので大きいスーパーで買い物を済ませ、自宅に戻り、家の掃除をしているところでした。Hubbieは仕事最終日、その夜に日本に向けて発つ予定でした。 その午後に大きな地震。我が家は東京の町田というところにあり住宅街の中にあるのですが、かなり揺れました。震度5弱だったそうです。揺れがいつもと違って長く、ひどくなっていく感があったので、テーブルの下にもぐるよりも、Bubを連れて、母と愛犬と庭に避難しました。道の電信柱なども大きく揺れていたし、怖かったです。

我が家(実家)は阪神淡路大震災以来、ご近所でも「え、そこまでしてるの」と言われるほど、万が一の備えはしっかりできていると思います。家族だけなら1週間は軽く庭にキャンプできるぐらいの備えなら十分にあります。懐中電灯も全ての部屋に、棚などもひっくり返らないように設置されています。そのお陰もあってか、お皿1つ割れずに済みました。化粧台の化粧水が2本床に転がったくらいです。

直後に市の緊急放送(大きなメガフォンが市中に様々置かれており、普段からちょっとしたお知らせやお年寄りの迷子などにもこれが使われています)が流れ、テレビで情報を得る様にとのことでした。テレビで見る映像は怖いものばかり。中継されるテレビで見る津波、そして何も気付いてないと思われる車が普通に何台も走っていてそのまま波に持って行かれてしまうシーンを見て、母と2人で逃げてとテレビに話してみてもどうにもならず、もどかしさでいっぱいでした。車の中で好きな音楽でも聴いていたら何が起こっているか分からないですよね。

少し経って、町田にあるコストコというお店で駐車場のスロープが崩壊し、車が数台巻き込まれた、ともやっていました。ここは当初の予定を前倒しして、前日の木曜日に出かけていました。運が良かったです。コストコというところに行ったことがある方は分かるかもしれませんが、通路は広いものの、倉庫のようなところでお買い物をするので、大きいものが所狭しと置かれています。木曜に出かけたときは子供連れのお母さん方が本当にたくさんいたので、こんなところで今回のような地震にあったら、生きた心地がしなかったのでは、と思います。

被害の実態が少しずつ分かると共に、その日の夜にシドニーを発つ予定のHubbieのことが心配になりました。そのうちテレビでやると思うけれど、こっちで地震があったこと、皆無事であること、でも結構被害が大きいようなので、まだシドニーにいるならもう来ない方がいいよ、そんなことを含めて連絡しました。2週間ぶりに会えると楽しみにしていた矢先のことだったので、Hubbieも冷静なようで、そうでもないような、とりあえず心配で仕方なく、東京にやってくることしか頭にないようでした。金曜のシドニーからのカンタス便は空港で数時間待たされた後に12時間遅延というお知らせがあったようで、その夜は一旦帰宅し、朝10時の便に乗るためにその早朝にまた空港に出直したようです。

そうなると迎えに行く私達の側も考えないといけないわけで。苦笑。車で普段は行くのですが、高速道路は通行止め。電車も普段どおりには走っていません。Hubbieは空港で誰かが待っていると思って飛行機に乗っているので、連絡が取れない可能性も考えると、どうにかして空港に行かねば、という気持ちが先行し、私はあまり冷静ではなくなっていた気がします。飛行機の到着時刻は夕方6時ごろ。その後両親が2人で行ってきてくれると言ってくれ、私はBubと2人でお留守番をすることになりました。特に父は地震当日は同僚などと共に都心の会社に残り、日が昇るのを待って、自宅に戻ったので、ほとんど寝ていなかったし、申し訳なかったです。地元の駅に送って行ったのが1時半過ぎ。普段どおり走っていない鈍行電車を乗り換えることによって、4時間弱で空港に到着、無事Hubbieと会えたと連絡をくれたときには本当にホッとしました。その後また乗り継ぎを繰り返し、また4時間くらいかけて地元に帰ってきたのは夜10時半頃。空港に向かう電車は満員電車のようだったそうで、荷物を持っている人々でさらにひどく、Bubがいたら到底無理だったとのこと、迎えに行ってくれた両親には本当に感謝です。遅い夜ご飯は、手巻き寿司でした。皆テレビに見入りましたが、とりあえず皆が無事に一緒に食卓に付けたことをありがたく思った夜でした。土曜日はこんな感じで過ぎていきました。

(姉も職場から帰れなくなっていましたが、恵比寿の職場近くのWestinホテルが軽食を無償で配布したり、毛布などを貸し出してくれたようです。結局その夜は同僚の家に泊めてもらうことができたようで、次の日に無事に帰宅しました。義兄は職場から家まで一応歩ける距離だったので、家に一旦帰って姉を迎えに行こうとしたようですが、車が混雑して身動きできず、諦め自宅待機でした。)

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